ラマン散乱光を利用した細胞内標的物質の検出

有用なE. gracilisを識別するために、目的の物質が細胞内にあるのか、あるとしたらどれくらいあるのかを検出・可視化することは重要な方法の一つです。免疫細胞化学や特定の物質を染色する試薬を用いることで、特定の細胞にある標的物質を標識することができます。ただ、染色過程で細胞を固定する必要があるものに関しては、生きたまま細胞内の標的物質を検出することには向いてません。それが可能になると、細胞の経時的な解析や標的物質を持つ細胞を生きたまま単離することができ、有用な細胞株の獲得につながるかもしれません。

細胞の表面抗原に対する標識や生細胞用の染色試薬を用いることで、生細胞の標的物質を検出することもできます。しかしながら、目的の抗体が手に入らない、試薬の毒性を無視できない、染色できる試薬が存在しないといった問題点も少なくありません。これを解決するのが、ラマン散乱光を利用して特別な標識をせずに細胞内の標的物質を検出する手法です。

Raman shift of Paramylon
図1 Raman Shift(文献1より引用)

光が物質に入射して散乱する際に、極わずかに入射光と異なる波長の光が発生します(ラマン散乱)。このラマン散乱光は分子構造に特有であるため、物質に応じたピークが得られます(Raman shift)。例えば、図1はパラミロン(上)とE. gracilis(下)に光を照射した際のRaman shiftを比較したものです(文献1)。パラミロン特有のピークがE. gracilisでも見られ、細胞内にパラミロンがあることがわかります。また、ピークの高さ(Raman Intensity)は物質の濃度を示し、図1下の様に培養条件による標的物質の量を比較することも可能です。

原理的には、どんな光を照射してもラマン散乱光を得ることが可能です。固定などの前処理も要りません。ラマン散乱光のシグナルを画像化することで、標識なしで標的物質を可視化できます。ただ、生細胞、特にE. gracilisのような動き回る細胞のライブイメージングを行うことは困難でした。散乱する光が微弱であることや各波長の検出に時間がかかることを理由に、得られたシグナルを画像化するのに数時間がかかることがあったためです(文献2)。

技術開発が進むことで、2016年には生きたままのE. gracilis細胞を観察することに成功。2つの異なる光を照射し、標的物質にあたった際に誘導される光間での変動を検出する誘導ラマン散乱(SRS)顕微鏡が用いられました(文献3)。下の動画は、動くE. gracilisの脂質(青)、パラミロン(赤)、葉緑体(緑)を標識なしで可視化したものです(文献3より改変)。

2020年には、SRSと異なるシグナル強化手法であるコヒーレント反ストークスラマン散乱(CARS)を用いたフローサイトメーターを使用し、E. gracilisをスケールアップして解析することが可能になりました(図2、文献1)。その速度は20-80細胞/秒で、1万個の細胞を最速2分で解析可能です。この技術をセルソーターに発展させることで、将来的には目的の細胞を標識なしで単離できるようになります。

図2 FT-CARS flow cytometer(文献1より引用)

細胞を単離培養したものは単一な細胞集団と考えられます。一方で、遺伝子発現や表現型の違いによるサブポピュレーションが存在することも報告されています(文献45)。ラマン散乱光を利用して検出可能な標的物質の数や検出の高速化が進むことで、均一な集団の中にも様々な状態のE. grailis細胞が含まれていることを発見できるかもしれません。